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背景にイングランド人のこだわりも スタジアムで目撃したジャカ問題

2019.11.03

イングランドの地で大きな注目を集めることとなった「ジャカ問題」。長らくロンドンで取材活動を続け、この騒動を現地で目撃した山中忍さんに、イングランド人のメンタリティも踏まえて所感を綴ってもらった。

 10月27日のプレミアリーグ第10節、 アーセナルは、エミレーツ・スタジアムでのクリスタパレス戦で2-2の引き分けに終わった。同節を終えて得失点差が辛うじて「+1」のチームは、セットプレーで奪った2点のリードを守り切れず。リーグ戦では開幕節を最後にアウェイで勝ち星のない今季、ホームでも勝利を逃した。就任2年目も進歩の跡が見られないと言われ始めたウナイ・エメリ体制に、また1つ疑問符が増える一戦だった。

 ただ、試合後に最も大きく取り沙汰されたのは、グラニト・ジャカの交代シーン。アーセナルMFが取った行動も意外なら、メディアの反応も意外だった。

 61分に交代が告げられた当初に起こったブーイングは、ゆっくりと歩き出したジャカにスピードアップを求めるホーム観衆の意思表示と感じられた。2点差を追いつかれてから、まだ10分弱。前線にFWのブカヨ・サカを加える攻撃的な交代策でもあった。しかし、ピッチを降りる34番のペースは上がらない。代わりに上がったのは、その姿が翌朝に『デイリー・テレグラフ』紙などでスポーツ1面を飾った写真にもあったジャカの両腕。「文句があるなら言ってみろ」とファンを煽るかのように、大きく両腕を広げたのだ。

 本人にすれば、チーム1人目の交代に納得できない気持ちもあったのかもしれない。ホームでは、この試合よりも個人としての出来が悪かった9月後半のアストンビラ戦で、やはり交代時にブーイングを浴びる辛い仕打ちを受けてもいた。とはいえ、挑発まがいの仕草をしたのでは、スタンドからのブーイングの音量と毒気が増しても当然。加えて、「聞こえねぇぞ!」とでも言いたげに左手を耳に当ててもみせたジャカは、憮然とした表情で、一時的に「アーセナルMF対アーセナルファン」の舞台と化したピッチを下りると、ベンチ付近のファンに何事かを言い返し(報道によれば「ファック・オフ(うっせぇんだよ)!」)、ユニフォームのシャツを足下に投げ捨てて、そのまま控え室へと続くトンネル内に消えた。

変わらない「キャプテン像」

 試合後の会見で、エメリに飛んだ質問は2種類しかなかったと言っても良い。1つは、敵軍にPKを与え、自軍の勝ち越しゴールを取り消したビデオ判定。もう1つは、もちろんジャカ絡み。指揮官は、ジャカの行動を「間違った行為だ」と認めながらも、その場では制裁などに関する明言を避けるしかなかった。にもかかわらず、「今後もキャプテンを任せるつもりか?」といった質問を続ける報道陣の様子には、これもまた、主将に対するイングランド人のこだわりに驚かされた。

 もちろん、筆者もアーセナルの主将が誰かは認識していた。観戦プログラムには定番の主将コラムもあり、プロフィール写真で拳を握って吠えるポーズを取るジャカが、「シーズン中には、苦しくても自分たちを信じて戦い続けなきゃいけない試合もある」と、それらしい発言をしてもいた。ただし、どちらかと言えば形式的という認識もあった。昨季の主将は、ジャカを含む計6人による交代制。今季の主将決定も、監督の指名ではなくチーム内投票の結果だったのだ。

 こうした例は、昨今のプレミアで増える傾向にもある。10年ほど前、「キャプテンの人選にこだわる理由がわからない」と言っていたのは、当時のイングランド代表監督だったファビオ・カペッロだが、外国人選手が多く、主力の平均在籍年数が長くはない上に、指揮官にも外国人が増えたリーグ事情もあるのだろう。昨季、カペッロと同じイタリア人のマウリツィオ・サッリが監督だったチェルシーでも、正式な主将任命はなし。実際には古株のセサル・アスピリクエタがキャプテンマークを付ける試合が多かったが、ホームゲームでの観戦プログラムからは主将コラムが消えていた。昨季限りで長年の主将バンサン・コンパニが去ったマンチェスター・シティでも、キャプテンマークを受け継いだダビド・シルバは、エメリと同じスペイン人監督のペップ・グアルディオラが選手たちに人選を委ねた後任だ。

 しかし、この国の地元サポーターが抱く「キャプテン像」は変わらない。年配者の中には、尊敬する人物として英国史上で最も偉大な首相とも言われるウィンストン・チャーチルを挙げるイングランド人も珍しくないが、彼ら「12人目」も含むチームの絶対的なリーダーには、何事にも動じず、周囲に安心と勇気を与えて力となる、「支柱」のような存在感が求められる。人々の感覚では、それだけの選手である証がキャプテンマーク。それを軽々しくピッチに放り投げたジャカは、そこからして主将にはあるまじき行為に走ったことになる。

 さらに言えば、そもそもジャカは主将には適していないことになるのだろう。チーム投票で選ばれたのだから、ロッカールームで信望を集める存在ではある。気迫が前面に出るタイプで、声の大きさも十分。だが、プレーで語って周囲を牽引するリーダーシップも非常に重要だ。ジャカはと言うと、暴走と言われても仕方のないタックルで、逆にチームを窮地に陥れることもしばしば。移籍1年目の2016-17シーズン、スイス代表とクラブで計3枚のレッドカードをもらった新MFに関し、「タックルに行くなと伝えた方が良いのかもしれない」と言っていた、アーセン・ベンゲル前監督のコメントは忘れがたい。入団4年目の今季も、第4節で実現したホームでのノースロンドンダービーで、無謀に身を投げてトッテナムにPKを与えたりしている。

 では、他に誰が適任なのかということになると、クリスタルパレス戦後に「サポーターあっての我われだ」とも言っていたエメリが、ファンも納得の主将を自ら選ぶ気になったとしても候補が乏しい事実が悩ましい。昨季、ジャカとともにキャプテンマークをつけた顔ぶれからは、ペトル・チェフが現役を退き、ローラン・コシエルニー、アーロン・ラムジー、ナチョ・モンレアルの3人が、それぞれボルドー、ユベントス、ソシエダへと去った。残る1人はメスト・エジル。だが、ジャカの交代直後に観衆が当てこすりで名前を歌った天才肌のベテランは、プレースタイルが指揮官のサッカー哲学と合わずに干されており、ファンの歌声をベンチ背後の席に私服姿で座って聞いていたという状況なのだ。

 中2日で訪れたリーグカップでのリバプール戦(PK戦敗退)では、メンバーを外れたジャカに代わり、チーム投票時に代行担当の1人に選ばれていたとされるエクトル・ベジェリンが主将を務めた。しかし、移籍8年目の右SBも、今季は肝心のリーグ戦で出番のないまま11月を迎えている。ピッチ上で最も頼りになる選手と言えば、マテオ・ゲンドゥージ。中盤中央でボール奪取に攻撃参加にと、チームのベストプレーヤーとも言える今季の滑り出しを見せているが、まだアーセナル2年目の20歳という見方もある。一方、新戦力ではあっても32歳のダビド・ルイスは、ピッチ外でも親分肌で、ファンサービスにも熱心な主将向きのキャラクターだが、致命傷レベルのミスが減らないCBとしての一面がピッチ上での信頼度を損なわせる。

ジャカはベンチ外となった11月2日の第12節ウォルバーハンプトン戦、腕章を託されたのはオーバメヤンだった

 精神面が甘いとされるアーセナルは、クリスタルパレス戦前週の第9節シェフィールド・ユナイテッド戦(1-0で敗戦)を解説したパトリス・エブラに、「お子ちゃま集団」と呼ばれていた。黙ってなどいられない主将は、「そんなデタラメを言っていると信用を失うぞ」と反論していたのだが、翌節で自らがメンタルの問題をさらけ出してしまった。後日、アーセナル公式サイトを通じて「試合会場やソーシャルメディアでの非難中傷が続き、自分の中で限界に達していた」と事情を説明しているジャカに対し、クラブは、心の傷を癒し、怒りを抑える術を学ばせるべく、カウンセリングの機会を提供するのだという。

クラブから発表されたジャカのメッセージ

 監督自身へのプレッシャーも高まっているエメリ体制の前途は多難だと、あらためて実感させたクリスタルパレス戦。皮肉なことに、ジャカが「応援ありがとう」と締めくくった主将コラムの隣りでは、スポンサー契約を結んでいるルワンダ政府の広告ページで、「ミスター・アーセナル」の異名を取った往年の主将で、まさしく「支柱」だったトニー・アダムスが微笑んでいるのだった。


Photos: Getty Images

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アーセナルグラニト・ジャカ文化

Profile

山中 忍

1966年生まれ。青山学院大学卒。90年代からの西ロンドンが人生で最も長い定住の地。地元クラブのチェルシーをはじめ、イングランドのサッカー界を舞台に執筆・翻訳・通訳に勤しむ。著書に『勝ち続ける男 モウリーニョ』、訳書に『夢と失望のスリー・ライオンズ』『ペップ・シティ』『バルサ・コンプレックス』など。英国「スポーツ記者協会」及び「フットボールライター協会」会員。

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