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融合か分断か。ドイツの今を映す「難民ジャッタの奇妙な物語」

2019.10.23

ドイツサッカー誌的フィールド

皇帝ベッケンバウアーが躍動した70年代から今日に至るまで、長く欧州サッカー界の先頭集団に身を置き続けてきたドイツ。ここでは、今ドイツ国内で注目されているトピックスを気鋭の現地ジャーナリストが新聞・雑誌などからピックアップし、独自に背景や争点を論説する。

今回は、アフリカ西端の小国ガンビアから流れ着いたドイツの地でプロサッカー選手に――夢をつかんだあるガンビア人青年に突如として降りかかった猜疑と、それを発端に広がる波紋。

 2015年が、一つの転換期としてドイツ史に刻まれることは間違いない。身の安全と豊かな暮らしを求めて欧州を目指す多くの難民たちに国境を開いたこの年を境に、この国は分裂している。

 一方には、戦火と悲惨から逃れようとする人たちを受け入れて社会に融合するべきだと考え、いわゆる「歓迎文化」を唱える市民がいる。もう一方には、国内でイスラム教の影響が大きくなること、移民により犯罪が増えること、「異他的になり過ぎること」を怖れる猜疑的な人たちがいる。右翼的な「ドイツのための選択肢」(AfD)党の議員が続々と議会入りし、東と西の昔からの溝が再び現れてきてもいる。

 この緊張した状況の中、サッカー界で浮上してきたのがハンブルクのベイカリー・ジャッタの奇妙な物語である。

「虚実のアイデンティティ」

 ガンビア出身のジャッタに脚光が当たったのは2016年のこと。サハラ沙漠を越えて欧州に逃れ、サッカークラブでのプレー経験が一度もないにもかかわらずハンブルクとプロ契約。将来のない一人の人間が、悲惨な環境から逃れてサッカーの舞台に上がるという素晴らしいストーリーは、当時『南ドイツ新聞』が「ある難民の夢」と見出しをつけて報じるなど話題となった。

 その後チームの主力選手にまで上り詰めた彼は、先述した「融合」の際たる成功例とされていたのだ、この8月に『シュポルト・ビルト』誌がジャッタの信憑性を疑うストーリーを掲載するまでは――。

 「ハンブルクのスター選手ジャッタは、虚実のアイデンティティを使ってプレーしているのか?」

 こう銘打たれた記事で同誌は、彼は本当はガンビアのU20代表でプレー経験のあるベイカリー・ダッフェーで、庇護申請の際には名前だけでなく年齢も偽ったのではないか、年齢を偽ったのは、未成年の方がドイツに在留しやすくなるからではないかと指摘した。この主張を証明するものは現状ない。だが、排外的な波が立っている。

極右の標的に

 AfDからすれば、彼らが掲げる「難民庇護政策の狂気」というテーゼにとって格好のターゲットが現れたと言える。また、ジャッタがボールを持つたびに、対戦チームの多数のファンからブーイングが浴びせられる。そこにあるのは不信感であり、例えばニュルンベルクがしたように、ハンブルクとの試合後に抗議することによってその不信感はいっそう高まっていく。

 アンゲラ・メルケル首相が国境を1週間開放した2015年以降、「十分な事実がなくとも、すぐに(反難民的な)雰囲気と意見が作られる」と現状を評したのは『フランクフルター・ルントシャウ』(FR)紙。まさにその通り、ジャッタは突如として融合の成功例から、ドイツ社会の分断の象徴となってしまった。彼がSNSで詐欺師と罵られる状況に、ディーター・ヘッキング監督の堪忍袋の緒は切れてしまった。「バッカ(ベイカリー)は必要な書類をすべて提出した。すべて合法だ。国家と国家行政機関を信じられなくなったらもう終わりだ」と。

疑惑が報じられたジャッタ(右)。報道後も出場を続け、第10節を終えた時点で9試合1得点の数字を残している

 今、社会は分裂している。「この事件は一度限りのことではなく、氷山の一角だろう。既存のシステムが、移民に真のアイデンティティを隠し、年齢を下げるよう促している」。ハンブルクのAfD政治家がこう発言するなど、右翼ポピュリストたちは法治国家に大きな傷をつけんばかりの勢いでジャッタを批判している。

 一方で、穏やかに済ませようという声もある。もしジャッタが本当は2歳年上で名前も別物だったとしても、彼のサッカー選手としてのパフォーマンス自体は、今ピッチで披露しているもの以上でも以下でもない。彼の過ちとはドイツに居続ける可能性を高めるためのものであり、非常に人間的な理由である。それさえ除けば、この21歳の青年は“ 模範例”だろう。「一文なしでやって来てフレンドリーに受け入られ、助けられて今では共同体と税務署のためにもなっている」(『FR』紙)のだから。

 「誰に害があるというんだ? そして何が問題なんだ? 彼はサッカーができて、契約に署名できるだけの選手だ。何歳であるかはどうでもいい。こんなテーマに関わらなければならないのは理解不能だ。問題は他にいくらでもあるだろう」

  こう問いかけるのは、難民フレンドリーなクラブであることを強調しているザンクトパウリでTDを務め、自身は政治的に左派であるエバルト・リーネンだ。この問いかけは非常に聡明である。だが難民のこととなると、一部のドイツ人は落ち着いて考えることができない。

ジャッタの所属するハンブルクとザンクトパウリは9月に対戦。2-0でザンクトパウリに軍配が上がった

 スポーツ仲裁裁判所(CAS)がハンブルクから勝ち点を剥奪しないことを願うばかりだ。そんなことになれば、この事件はさらにエスカレートしてしまう。なにより、競争に影響を与えるような利点は誰も得ていない。ベイカリー・ジャッタのように、非常にうまくドイツに適応した人間が歓迎されないとしたら、それは惨劇である。もし彼が、切羽詰まった瞬間にいくつかの偽りを記したのだとしても。


■注目記事
「ジャッタに関する議論は理解不能」

同じハンブルクを本拠とするライバルクラブ、ザンクトパウリでテクニカルディレクターを務めるエバルト・リーネンが、8月11日に放送された『NDR』のスポーツ番組でジャッタ問題について言及。「これが私たちの社会が抱える最大の問題なのだとしたら『おめでとう』と言いたいね」と皮肉を交えて怒りを露にしている。(『NDR』 2019年8月11日)

https://www.ndr.de/fernsehen/sendungen/sportclub/Lienen-Kein-Verstaendnis-fuer-Diskussion-um-Jatta,sportclub10542.html


Photos: Bongarts/Getty Images

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ブンデスリーガベイカリー・ジャッタ

Profile

ダニエル テーベライト

1971年生まれ。大学でドイツ文学とスポーツ報道を学び、10年前からサッカージャーナリストに。『フランクフルター・ルントシャウ』、『ベルリナ・ツァイトゥンク』、『シュピーゲル』などで主に執筆。視点はピッチ内に限らず、サッカーの文化的・社会的・経済的な背景にも及ぶ。サッカー界の影を見ながらも、このスポーツへの情熱は変わらない。

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