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「ソシオのクラブ」と言いがたいレアル・マドリーの経営実態

2019.06.04

昨季までのCL3連覇による増収もあり、2014-15まで11連覇するも過去2年、逃していた売上高世界一に返り咲いたレアル・マドリー。すべてを掌握するフロレンティーノ・ペレス会長の功績であることは間違いないが、であるがゆえに、ある疑念が頭をもたげてくる。

 昨季2017-18シーズンの会計報告で、レアル・マドリーは前年比11%増の7億5090万ユーロの売上高を計上した。『フットボールマネーリーグ2019』によるとこれで3年ぶりに世界一の地位を奪還。フロレンティーノが最初に会長の座に就いた2000-01から17年連続で成長し続けていることになる。金の面で彼の腕前にケチをつけることはできない。

 スポーツ面では、最も権威あるタイトルのCLを昨季まで3連覇。SDを自らが務め、トップ下収集癖があったり、ベイルやハメスで外したり、モウリーニョ招へいで不興を買ったりしたものの、結果は出してきた。ソシオ制のクラブで非営利団体扱いゆえに、“経営”という言葉は馴染まないが、経営者としては「超優秀」、金に物を言わせた補強のおかげもあってスポーツマネージャーとしても「優秀」と言っていい。

影に覆われた「透明性」

 このフロレンティーノに影があるとすれば、それは「透明性」の部分だろう。クラブ規約を変更して対立候補が立つのを不可能にして独裁体制を固めたり、輝かしい偉業の裏でけっこう、クリーンとは言えない手を使っているのだ。

 例えば、今問題になっている新スタジアム建設用の巨額融資についてもいくつか不透明な部分がある。建設費は5億2500万ユーロなのになぜ融資額は5億7500万ユーロなのか? 毎年2500万ユーロの35年返済で8億7500万ユーロを返済するくらいなら、なぜもっと短期の融資で金利負担を減らさないのか? 会長は新スタジアムで年間1億5000万ユーロの売上が見込める、と言っているが、収容人数は増えずホテルもなくショップが2店増えるだけでどうやって稼ぐのか? お題目の「ベルナベウのデジタル化」とは具体的には何なのか? 屋根付きにして外からカバーをかけるだけの工事(スタンドにはノータッチ。だからこそサッカーカレンダーに影響せず3年半で工期終了)にそんな大金が要るものなのか? そもそも新スタジアムが本当に必要なのか?

 会長の功績とされるものにも、暗い影が見え隠れする。練習場のシウダ・レアル・マドリーはサンティアゴ・ベルナベウの40倍、モスクワの赤の広場の16倍、バチカン市国の2.7倍の広大な敷地に10のサッカーグラウンド、1つのスタジアム、選手の宿泊施設、テクニカルスタッフのオフィスを擁する5つ星ホテル並みの豪華な施設である。だが、その実現には用地の安価取得(原野として購入)と旧練習場の高価売却(今は4つの超高層ビルが建つ)が不可欠で、そのためにマドリッド市による土地の用途変更というサポートが必要だった。裏で公的機関を動かしたのはフロレンティーノだというは公然の秘密となっている。跡地の売却ができずあたふたしているアトレティコ・マドリーやバレンシアとは、政治力が違うのである。

 しかも「プロフェッショナルとソシオが共同生活する」とクラブ公式WEBサイトで説明されているこの豪奢な施設を訪れたソシオは、クラブの年鑑によると17-18でわずか4500人しかいない。練習非公開はサッカー界の趨勢で会長のせいではないが、公共交通機関がない不便な場所で、しかも訪問には事前の申請が必要というのはフロレンティーノの下で生まれた状況だ(かつてソシオは街の中心部の練習場に自由に入れた)。

シウダ・レアル・マドリー内にあるエスタディオ・アルフレッド・ディ・ステファノ

 もう一つ、スタジアムからウルトラスを追放したことも立派な功績ではあるが、代わりに設置された「公式応援席」で会長の辞任を迫るコールを耳にしたことはないし、抗議の白いハンカチが振られるのも見たことがない。着衣が白に統一されていることからわかる通り、クラブが応援団員の審査権を握ることでネガティブな声が封じ込まれているのだ。

白く染まった ゴール裏の「公式応援席」。クラブに組織された“応援団”から抗議の声は上がらない

 ソシオの会費による収入は売上高の6.6%に過ぎず年々ジリ貧。かつての「ソシオのクラブ」は、今は「フロレンティーノのクラブ」であり、近い将来には「フロレンティーノの会社」になるかもしれない。

Photos: Getty Images

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ビジネスフロレンティーノ・ペレスレアル・マドリ―

Profile

木村 浩嗣

編集者を経て94年にスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟の監督ライセンスを取得し少年チームを指導。06年の創刊時から務めた『footballista』編集長を15年7月に辞し、フリーに。17年にユース指導を休止する一方、映画関連の執筆に進出。グアルディオラ、イエロ、リージョ、パコ・へメス、ブトラゲーニョ、メンディリバル、セティエン、アベラルド、マルセリーノ、モンチ、エウセビオら一家言ある人へインタビュー経験多数。

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