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ラングニックが“金満クラブ”RBライプツィヒに惹かれる理由

2016.12.16

1部で私のサッカーが実践できれば、ブンデスにとっても大きな財産となる

昇格初年度にもかかわらずブンデスの盟主バイエルンを抑え首位に立つなど快進撃を続ける一方で、他クラブのファンからは強烈な反発に遭っているRBライプツィヒ。その“黒幕”の一人が、ドイツサッカーの戦術を大きく変えたと評されるラルフ・ラングニックだ。現在はスポーツディレクターとして辣腕を振るう智将はなぜ、勝てば勝つほど嫌われるクラブを自らの仕事場に選んだのか。記者からの厳しい質問に臆することなく、自身の明確なビジョンを語った。

RB批判への反論

むしろ、レッドブルを買うことを止めた人々もいる

──あなたは首に大好きなクラブのマフラーを巻いてスタジアムに行ったことがありますか?

 「もちろん。マフラーどころかユニフォームを着て、フラッグまで持ってグラッドバッハ(ボルシアMG)の試合を観戦しに行ったよ。1972年、ネッツァーやアラン・シモンセンがプレーし、そしてバイスバイラーがチームを率いてネッカーシュタディオン(シュツットガルトの本拠)に来た時だった。当時住んでいたバックナンクの街からシュツットガルトまで、30kmの道のりを電車で通った。フラッグは電車の中では折りたたまないといけなかったよ。シュツットガルトのファンたちとの間で諍いが起こるんじゃないかと、両親を心配させてしまうからね」

──グラッドバッハへの愛情は続いていますか?

 「監督を生業としている以上、他の人に比べ熱心なファンであることは難しいけれど、それでも彼らにはいまだにシンパシーを感じているよ。(3-1で勝利した今季の)バイエルン戦のように、アウトサイダーとしての役割を果たしているところにも共感している」

──グラッドバッハは歴史あるクラブで、神話のような語り草がいくつもありますが、もしあなたがRBライプツィヒのことをまったく知らない人々に何かを伝えるとすれば、どう説明しますか?

 「話はあっという間に終わってしまうだろうね。我われは設立してまだ6年しか経っていない、ドイツで最も歴史が浅いプロクラブなのだから。レッドブルの創設者であるディートリッヒ・マテシッツがいつだったかうまいこと言っていたよ。『600年後、ライプツィヒと他のクラブとの違いは、他のクラブが700年の歴史があるのに対して、ライプツィヒは“わずか”600年の歴史しかないことだ』とね」

──ドイツではクラブ名に商品名を使用するのは規定違反となるため、RとBを使ったラーゼン・バルシュポルト(芝生の球技、の意)という言葉を用いて、RBライプツィヒという略称が定着しています。表記の上では規定にのっとってはいますが、他意があるのではないですか?

 「クラブをそう呼ぶのは、とても革新的なアイディアだったんだ。バルトホーフ・マンハイムも一時期チオ・チップス(ドイツの菓子メーカー)の名を掲げていたし、レバークーゼンも州にちなんだ名称ではない。我われが最初というわけでもないからね」

──それらのクラブは、商品の宣伝目的で作られたわけではありませんが。

 「マテシッツがザルツブルク、ニューヨーク、そしてライプツィヒにマーケティング目的でクラブを作った、というのはあなたの憶測でしかないのでは?」

──私たちにとっては、それが最もわかりやすい理由ですからね。

 「ここでハッキリさせておこう。ノーだ。彼にとっての最優先事項は才能ある若い選手たちに成長の機会を与えることであって、これまでに『レッドブルをもっと売るために成功を急いでいる』という印象を抱いたことはない。むしろ、RBライプツィヒが気に食わない、という理由でレッドブルを買うことを止めてしまった人々もいるぐらいじゃないか」

最高の仕事場である理由

ここの方がより容易かつ生産的にプランを実現できる

──『ジュートドイチェ・ツァイトゥンク』は、営利企業であるレッドブルが「50+1ルール(クラブの私物化を阻止するため、過半数の議決権保有を制限する規則)に適用できるよう、巧妙にカモフラージュしている」と指摘していますが?

 「私自身はスポーツ部門の統括者であって、それについて詳しく答えることはできない。だが、我われが実際にルール違反を犯し、そのルールをぞんざいに扱っているようなら、DFL(ドイツサッカーリーグ)やDFB(ドイツサッカー連盟)がライセンスを発行したとは思えないな」

──私たちはそうは見ていません。レッドブルグループがクラブを操作できるよう、規則を調整してきたのではないですか?

 「私がクラブの一員として働いてきた限り、レッドブルがクラブを操作しようとしたことは、ライプツィヒでもザルツブルクでも一度もない。我われはクラブの構造改革を行ったが、イングランドでは“クラブビルディング”と呼ばれるものだよ」

──そうかもしれません。ですが、RBライプツィヒはそのクラブ構造によって、不公平とも言えるような大きなアドバンテージを受けていますよね?

 「09年のクラブ発足時は確かにそうだった。だが、それはホッフェンハイムにもボルフスブルクにも言えることだ。フォルクスワーゲンがいなければボルフスブルクがチャンピオンズリーグに参加することはなかっただろうし、それどころかブンデスリーガにだって参加できていなかったはずだ」

──しかし、この話には続きがあります。今季の移籍市場でRBライプツィヒ以上に投資したのはバイエルンとボルシアMGの2クラブだけです。

 「その通り。だが、かつてのホッフェンハイムも似たようなものだ。当時2部だったにもかかわらずカルロス・エドゥアルド、デンバ・バ、ルイス・グスタボ、イビセビッチ、オバジに1700万ユーロを投資したのだから。そして、彼らは最終的に1億ユーロもの移籍金をクラブにもたらしたよ」

──リーグのライバルたちは、移籍市場で500万ユーロも使えれば万々歳でしょう。

 「RBライプツィヒの場合は、そんなふうにスタートしたわけではないよ。私はスポーツディレクターとしてゼルケとダマリの2人を獲得したが、それはライプツィヒが2部に昇格した後の話であって、最初からそうだったわけじゃない。ゼルケの引き抜きを決めたのも、彼が出て行く時には獲得額(800万ユーロ)以上の値が付く確信があったからだ。もちろんそれは、彼がここでプレーする気がなくなったらの話だが」

──加えて、あなたはRBライプツィヒ、ザルツブルク、リーフェリンク(ザルツブルクのサテライトチーム)の間で選手を移動させることができますね。

 「それにしたって、我われは選手を納得させる必要がある。彼らにとって、それらのチームに行くことが成長に繋がることを論理的にね。それは我われに限らず、どこでも同じはずだ」

──シャルケやドルトムント、ハンブルクが国外にサテライトクラブを設ける助けになるでしょうか?

 「それは各々のクラブが決めることだ。イングランドではいくつかのクラブがサテライトクラブを持っているし、ドイツでもU-23チームを解散する動きが出始めている。サテライトクラブを持っていれば、選手だけでなく監督を育てられるというメリットがある」

──私たちはそうした、サテライト化したクラブがビッグクラブに選手を供給するモデルを批判的に見ています。サッカー文化を形成する上で重要な要素の一つに、クラブ独自のアイデンティティがあると考えるからです。あなたにとってサッカー文化とはどのようなものですか?

 「それについては、私の経歴から答えることができる。私は80-81シーズンのアーセナルを見て、イングランドのサッカーとその愛し方に触れたんだ。『あんなゴール裏のウェーブはどうやったらできるんだろう』と、いつもテレビの前で疑問に思っていた。そして、ハイバリーのクロック・エンドにその足で立った時に、ようやくその秘密がわかった。前に立っている人にしっかりつかまって、一緒に飛び上がっているんだってね。私にとってサッカー文化とは、全身全霊を懸けて我がクラブを支えようとするファンで埋め尽くされたスタジアムだ」

──まさにそのファンたちは、チームが成功を収めているからではなく、ピッチ上の彼方にあるものを愛しているからこそ、ファンであるのだと思います。そう考えた時、RBライプツィヒのようなクラブを愛するのはどれほど難しいことでしょうか。

 「どのサッカーファンにも、ファンになる最初の瞬間があるものだ。現在ライプツィヒに住む14歳の少年が、地元クラブのファンになることも認めてあげないといけない。今季の2部の観客数ランキングに目を向けると、我われはザンクトパウリやカイザースラウテルン、ニュルンベルク、デュッセルドルフよりも上位にいる。将来的には、できるだけ多くのファンが我われのアウェイ遠征について来てくれるようになることを望んでいるよ」

──どうしてそれほど多くの人々がスタジアムを訪れるのでしょうか?

 「良質なサッカーを見るため、そして一つのクラブにシンパシーを寄せたいからだ。加えて、お手本となるような人物と一体感を得たいというのもある。社会的に見て、サッカー選手というのは望むと望まざるとにかかわらずそういった対象になるものだろう」

──私たちはそうは思いません。多くの人々がスタジアムに駆けつけるのは、彼らがサッカーをただの試合以上のものと認識しているからであり、クラブには単なる運営組織以上の意味があるからでしょう。

 「我われが1部に昇格して、私の頭の中で毎日駆けめぐっているサッカーが実践できれば、ブンデスリーガにとっても大きな財産となると確信している」

──しかし、サッカー文化の多様性の中では、すべてのクラブが美しいサッカーを見せているわけでもないでしょう。そうではない何かを感じるために足を運ぶ人々もいるはずです。そこで私たちは次の問いに行き着くわけです。『文化は商業化の流れに対して、いかに対抗できるのか?』。ただ、あなたの話を聞いていると、最終的にカネがすべてを決めるように思えてくるのです。

 「文化に関しては、私の目から見ると、わずかなものは削っても良い。それはクラブの年数……」

──年数は私たちにとって判断の対象にはなりません。ケルンが1948年創設である一方、ホッフェンハイムは1899年に誕生したクラブですから。

 「……満員のスタジアムとファンたち、そして彼らがクラブの一員として過ごす生活は含まれるだろう。ただ、それらとは別の領域で、当然ながら資本金の大きさは不可欠な役割を果たしている。その点において、我われが他のクラブに比べ決定的に優れた環境を手にしていたのも間違いない。私が今ここにいるのはなぜかというと、『我われにはそんなもの必要ない』というのが合言葉になっているような他の伝統的なクラブと比較して、ここの方がより容易かつ生産的にプランを実現できることに気づいたからだ。ここには、どこかの媒体でいちいちクラブに対する文句を書き連ねるコラムを連載するような元代表選手もいない」

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試合前練習を熱心に見つめるラングニック。監督として表舞台にこそ立たないものの、チーム戦術の方向性に大きく関与している

商業化の向かう先

20、30年後には、多くのクラブが我われのようになる

──あなたは、サッカーの商業化には限界があると思いますか?

 「いつか限界がやって来るのは確実だ。バブルはいずれ弾けるものだからね」

──昨年、育成年代の選手獲得にはいくら費やしましたか?

 「我われはお金をばら撒くようなことはしない。移籍金を払うのは極めて例外的なケースだ。とはいえ、他のクラブが出すオファーよりも明らかに少ない額を提示することもない。今のマーケットが、我われによって台なしにされたわけではないのは間違いない。もし選手とその代理人が私に対して『あと10万ユーロ払うなら移籍してもいい』と言うようなら、私は『さようなら。君は誤ったモチベーションを持った、まったく期待できない選手だ』と答えるだけだよ」

──もしあなたたちが1部に昇格したなら、特別な予算を組むのでしょうか?

 「我われは移籍とプレースタイルに関して、明確な哲学に沿った自分たちのやり方を変えるつもりはない。引き続き若く、才能豊かな選手を獲得していくつもりだ。何の考えもなしに、ただブンデスリーガで上位をかき回すためだけに28、29歳の選手を引き抜くようなことはしない。それは我われのサッカーに対する考え方にも、企業の精神にもまったく似つかわしくないからね」

──あなたが現在RBライプツィヒで行っていることは、伝統的なクラブでも可能なのでしょうか?

 「理論的にはもちろん可能だよ。我われと比較できるプロセスを経たのがドルトムントとクロップだ。彼はクラブに来るや否や、ベテランのフライとペトリッチに別れを告げた。会員総会では、どこにも移籍させてはいけない選手と見なされていたにもかかわらずね。クロップはこの2人が、自分の目指すチームのプレースタイルに合わないことを初めから理解していたんだ」

──覚え書きのために聞いておきたいのですが、私たちはブンデスリーガの多くのクラブがRBライプツィヒのようになってしまえば、凄惨で酷い悪夢が現実のものになってしまうと考えていますが、あなたの考えはどうでしょうか?

 「20、30年後には、かなりの確率でそうなっているはずだ。個人的には、50+1ルールは廃止され、投資家たちの参入も普通のことになると見ている」

──あなたのアイディアや活動のすべてが、結局は巨大企業のマーケティング部門を統括する仕事にしか過ぎない、と感じる時はありませんか?

 「これっぽっちもないね。私にとっては、チームの躍進によってレッドブルの売り上げが増えようが増えまいが関係のないことだ。ただ、一つだけ言っておきたいことがある。これはホッフェンハイム時代の経験からくるものだが、純粋に競技面だけを考慮すれば、才能豊かな若い選手たちと仕事をした方がはるかに意義深い。彼らには凄まじいモチベーションを持っているからね。それに、この方針はレッドブルというブランドのためにも一役買っている。若者たちにとっては年上のベテラン選手より、同世代の若い選手の方がシンパシーを感じやすいだろうからね」

――最後に、大衆向けの質問で締めましょう。『あなたはドイツサッカーを破壊してしまうのですか?』

 「そう考えているのはファンの中でも明らかに少数派だと思うよ。多くのファンは、我われが馬鹿げた資金の使い方をしてはいないことを理解してくれている。我われは自分たちが納得し、確信していることを実行しなければならない。あなたがそうしているようにね」

■プロフィール
Ralf RANGNICK
ラルフ・ラングニック
(RBライプツィヒ監督)
1958.6.29(57歳)GERMANY

バーデン=ビュルテンベルク州バックナンク出身。シュツットガルトの下部組織に加入したもののトップ昇格は叶わず、アマチュアとしてプレーを続けるかたわら地元クラブのユースチームでコーチを務めていた。その経験が生き、83年に地元のアマチュアクラブで選手兼監督に。シュツットガルトのアマチュア部門と下部組織を含む5チームを渡り歩いた後、97年1月から指揮を執ったウルムで転機を迎える。3部所属だったクラブを2部昇格へと導いた手腕が評価され、99年にシュツットガルトの指揮官に就任、ついに1部へと上り詰めた。以降ハノーファー、シャルケ(2度)、ホッフェンハイムの監督を歴任。シャルケ第2期政権となった11年にはDFBポカール制覇を成し遂げた。ところが、その直後にバーンアウト症候群を発症し辞任。12年以降はザルツブルクとRBライプツィヒのSDを務め、今季からRBライプツィヒの指揮官として現場復帰を果たした。

COACHING CAREER
1983-85 Viktoria Backnang
1985-87 Stuttgart II
1987-88 Lippoldsweiler
1988-90 Korb
1990-94 Stuttgart Youth
1995-96 Reutlingen
1997-99 Ulm
1999-01 Stuttgart
2001-04 Hannover
2004-05 Schalke
2006-11 Hoffenheim
2011   Schalke
2015-   RB Leipzig

Interview: Christoph Biemann
Translation: Tatsuro Suzuki
Photos: Bongarts/Getty Images

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31号RBライプツィヒラルフ・ラングニックレッドブル転載

Profile

エルフ・フロインデ

「クラブの垣根を超えたファンジン」というアイディアの下、2000年に創刊。ユーモアを交えて文学的、文化的な側面からサッカーを描写。メディアの“演出”から離れたサッカーを伝え続ける、オルターナティブなファンカルチャーマガジンだ。

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